
ヨーロッパ言語の日。 コツュブィンスキー 第3部
26/9/27 12:00
国際理解記事プロジェクト
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9月26日、ヨーロッパでは、言語の多様性と外国語学習に捧げられた「ヨーロッパ言語の日」が祝われます。この記念日は、2001年に欧州評議会と欧州連合によって創設されました。ヨーロッパ諸国では、200を超える言語が話されています。その多くは、共通の祖語であるインド・ヨーロッパ祖語に由来します。なかでもラテン語は特別な位置を占め、イタリア語、フランス語、スペイン語などのロマンス諸語の基礎となり、ヨーロッパの語彙を大きく豊かにしました。
ヨーロッパで最も広く使われている二つの文字体系は、ラテン文字とキリル文字です。活字体や手書き文字、繊細なカリグラフィーに至るまで、多様な形で表現され、大文字と小文字が大きく異なる場合もあります。ヨーロッパの言語の間には、高い言語的な近縁性も見られます。ウクライナ人にとって、共通するスラヴ語のルーツを持つポーランド語、スロバキア語、チェコ語、ブルガリア語は、言葉を認識し、学ぶことが比較的容易です。
ウクライナ印象主義文学の父と称される優れた作家、ミハイロ・コツュブィンスキーについて紹介してきた連載を締めくくるにあたり、彼が残した幅広い文化的遺産に目を向けたいと思います。世界に開かれた視野を持つコツュブィンスキーは多言語話者であり、ウクライナ語、ポーランド語、フランス語、イタリア語、ルーマニア語、クリミア・タタール語を含む9言語を学び、身につけていました。
1905年にはオーストリア、ドイツ、イタリア、スイスを旅し、1909年から1912年にかけてはカプリ島を訪れ、ヨーロッパの美的感性を吸収しました。また、ハインリヒ・ハイネ、アダム・ミツキェヴィチ、エリザ・オジェシュコをはじめとする作家たちの作品を翻訳し、ウクライナ文学を豊かにしました。
コツュブィンスキーにとって、母語で書くことは信念に基づく選択でした。当時、ロシアに象徴される帝国権力は、1863年のヴァルーエフ指令と1876年のエムス法によって、ウクライナ語を抑圧しようとしていました。コツュブィンスキーは洗練された散文によって、ウクライナ語には人間の最も深い心理状態を表現し、近代文学の基盤となり得る大きな可能性があることを証明しました。
2014年に始まり、2022年にロシアによる全面侵攻へと拡大した戦争のなかで、ウクライナ独自の言語的・文化的空間を守ることは、決定的な重要性を持つようになりました。ミハイロ・コツュブィンスキーの文学的功績は、今日もウクライナの大切な国民的遺産であり、ウクライナとヨーロッパの家族との自然で深い結びつきを示しています。