
レーシャ・ウクラインカ 第1部
26/7/21 3:00
国際理解記事プロジェクト
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私たちは、ラルィーサ・コサチが「レーシャ・ウクラインカ」という筆名で世界に知られるようになるまでの歩みをたどる連載を始めます。このシリーズは、彼女の卓越した母、オレナ・プチールカについての物語を直接引き継ぐものです。
この筆名が生まれたのは、彼女がわずか13歳のときでした。「レーシャ」は家族が愛情を込めて呼んでいた愛称であり、「ウクラインカ(ウクライナの女性)」という名は、筆名「ウクライネツ(ウクライナ人)」を用いていた叔父であり、著名な学者ミハイロ・ドラホマノフの影響を受けて自ら選んだものです。帝政ロシアによるさまざまな禁止政策が続く時代において、この選択は、若き少女が自らのウクライナ人としてのアイデンティティを意識的かつ勇敢に示した宣言でもありました。
父ペトロ・コサチと母オレナ・プチールカは、進歩的で高い知性を備えたウクライナ人家庭を築き、その生き方は後の世代の模範となりました。
19世紀の国立学校で進められていたロシア化から子どもたちを守るため、オレナ・プチールカは6人の子ども全員に家庭教育を施しました。両親は、子どもたちをウクライナの伝統に基づいて意識的に育て、教育しました。母は独自の体系的な教育課程を作り上げ、世界文学や外国語だけでなく、数学、物理学をはじめとする理数・技術分野も学ばせました。
オレナ・プチールカ独自の教育法によるこの充実した学びは、6人の子ども全員に優れた成果をもたらしました。レーシャ・ウクラインカは若くして10言語を習得し、19歳のときには年少のきょうだいたちのために歴史の教科書を自ら執筆しました。
レーシャ・ウクラインカは、ウクライナの価値観とヨーロッパのモダニズムが調和する裕福な家庭で育ちました。ピアノを巧みに演奏し、パリやウィーンの文化に深い関心を寄せ、ヨーロッパのカタログから流行の服を取り寄せ、質の高いコーヒーを愛していました。高い教養を備えた知識人としてヨーロッパ各地を旅し、その知性は時代を先取りしていました。
2014年から続く戦争、そして2022年に始まったロシアによる全面侵攻の中で、主権を守り続ける今日のウクライナにとって、レーシャ・ウクラインカの家族が残した歴史的な経験は、いっそう大きな意味を持っています。それは、幅広い教育、理数分野の知識、そして自国の文化との強い結びつきが、社会を支える確かな基盤となることを示しています。
レーシャ・ウクラインカの人生は、現代のウクライナの人々に、自らの文化的なルーツを大切に守りながら、文明世界の一員として未来へ力強く歩み続ける勇気を与えています。
