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レーシャ・ウクライーンカ 第2部

26/7/28 3:00

国際理解記事プロジェクト
スポンサー:ZenGroup株式会社

レーシャ・ウクライーンカと聞くと、多くの人は、ソ連時代の学校教育によって作られた「病弱で、故郷を恋しがる悲劇の少女」というイメージを思い浮かべるかもしれません。しかし、本当のラリーサ・コサチ(レーシャ・ウクライーンカ)は、時代を先取りしたヨーロッパの知識人でした。



彼女は10以上の言語を自在に操り、世界各地を旅し、ヨーロッパ文学がようやく歩み始めた新しい表現に、いち早く挑戦していました。もし現代に生きていたなら、植物性ミルクの抹茶ラテを片手に、知的なポッドキャストを配信し、その先進的な考え方で世界中の人々を魅了していたことでしょう。



当時のウクライナ文学は、農民の暮らしを描く作品が中心でした。それは大切なテーマでしたが、文学の世界を限られたものにもしていました。そんな中、レーシャは文化的な革命を起こします。古代世界、哲学、そしてヨーロッパの神話を題材に選び、ウクライナ文学を世界文学の舞台へと押し上げました。



代表作には、トロイア神話を「真実を語っても誰にも信じてもらえない女性預言者」の視点から描いた『カッサンドラ』、権力と人間心理をテーマにドン・ファン伝説を新たに解釈した『石の主人』、そしてローマ帝国を舞台に狂信や精神的な束縛を描いた『地下墓地で』や『弁護士マルティアン』などがあります。



レーシャ・ウクライーンカは、ウクライナ語でこそ、ローマ帝国から世界の神話まで、人類共通のテーマを語ることができるのだと、その作品によって証明しました。



彼女にとって「モダニスト」であることは、冷静で論理的な思考を持つことでもありました。骨結核との長く苦しい闘病生活を送りながらも、身体の痛みによって思考や創造力を止めることはありませんでした。



療養のため、イタリアやエジプトなど海外で長く暮らすことも多くありましたが、その時間を知的な探求の機会へと変え、世界の政治や国際情勢を注意深く見つめ続けました。



彼女は、一つの重要な原則を深く理解していました。それは、国際情勢が大きく変化し、帝国の力が弱まるとき、その支配下にある民族──ウクライナを含む──にも自由への道が開かれるということです。レーシャは、その歴史の流れを鋭く分析し、そこにウクライナ文化が発展する大きな可能性を見いだしていました。



次回、シリーズ最終回では、レーシャ・ウクライーンカがウクライナの民間伝承へと立ち返り、生涯最高傑作『森の歌』を生み出したこと、そして彼女の晩年が、いかに「不屈の精神」を体現するものとなったのかをご紹介します。

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