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オリハ・ジュラヴェリ

26/8/17 12:00

本記事は、UHJのメンバーを紹介するシリーズの一部です。今回は、オリハ・ジュラヴェリの物語をご紹介します。

「2022年2月まで、私は人生で最も幸せな日々を送っていました。キーウで自分の心理療法の診療所を持ち、3人の子どもを育て、夫と世界各地を旅しながら、さまざまな文化や魅力的な人々に出会っていました。こんな暮らしがずっと続くのだと思っていました。



2022年3月、私はロシアの侵略から子どもたちを守るため、日本に来ました。



私は二つの高等教育を修了しています。キーウ工科大学で工学を、タラス・シェウチェンコ記念キーウ国立大学で心理学を学びました。ペゼシュキアンの手法に基づくポジティブ心理療法の認定心理療法士であり、スキーマ療法士、そしてMBSRマインドフルネス講師でもあります。



全面侵攻が始まったその日から、私はウクライナのプラットフォームでボランティア活動を始め、日本へ移った後も続けました。日本での最初の数か月間は、人々への無償支援に加えて、多くのことを学びました。当時、海外の専門家たちがウクライナ人心理士のために数多くのプロジェクトを立ち上げており、私は複数のオンラインプログラムで同時に学んでいました。日本語も分からず、ここにどれほど滞在するのかも分からず、将来について何一つ答えを持っていなかった日々です。それでも、自分に何ができ、それを誰が必要としているのかだけは、はっきりと分かっていました。



日本については、一般的な言葉ではなく、一人ひとりの具体的な物語を通してお話ししたいと思います。



日本に来て間もない頃、見知らぬ男性が道で私に声をかけ、お金を渡してくれました。テレビで私たちのインタビューを見て、自分にできる形で助けたいと思ってくださったのです。その方は、これだけしかできなくて申し訳ないとまで謝っていました。私は今でも、あの瞬間を何度も思い返します。それはお金のためではなく、その方が示してくださった細やかな心遣いのためです。



千代田区の学校に通った最初の一年には、子どもたちが安心して快適に過ごせるよう、校長先生ができる限りのことをしてくださいました。子どもたちが教室でどのように迎えられるか、日本語ではまだ理解できないことをどのように説明するかまで、細部にわたって考えてくださいました。現在子どもたちが通っているインターナショナルスクールの先生方や運営の皆さまにも、日々感じている細やかな配慮と支援に心から感謝しています。



そして、私には日本人の友人がいます。彼女は、とても大切なことをしてくれました。私たちに何が必要なのかを尋ね、まさに私たちが必要としているものを与えてくれたのです。ウクライナ人の家族にはこれが必要だろうと彼女自身が想像したものではなく、私たちがお願いしたものを届けてくれました。この4年間で、私はそれがどれほど深い尊重の表れであるかを理解しました。



もちろん、困難な時期もありました。日本の制度や手続きの仕組みを理解するまでに長い時間がかかり、答えが得られると思っていた場所で、必ずしも答えを見つけられないこともありました。それがなかったかのように装うつもりはありません。そうしてしまえば、私たちを助けてくださった方々の存在がどれほど大きかったかを、かえって軽くしてしまうからです。



2022年5月、市役所の職員の方が、子どもの頃から通っていたお店へ私たちを連れて行き、大好きだったお菓子をごちそうしてくれました。外国人を見た高齢の店主は驚き、その職員の方が私たちについて説明しました。すると店主は、私たちのような人々が来ることで経済的な問題が生じると答えました。市役所の職員の方は戸惑っていました。



私は、その店主を恨んでいません。彼女が私たちについて知っていたのは、耳にしたことだけだったからです。しかし、おそらくその時、私の中に、そうした人々へ本当のウクライナを伝えたいという思いが芽生えたのだと思います。勤勉で、寛大で、心の開かれた人々が暮らす、本当のウクライナを。



2022年6月から、私は日本でウクライナ避難民を支援する活動に加わりました。2026年4月まで、心理士・心理療法士としてウクライナ人を支援する四つのプロジェクトを立ち上げ、運営しました。私は、傍観していることのできない人間なのです。



2023年4月、私は自分にがんがあることを知り、6月に治療を始めました。それは、私の人生で最も厳しい試練となりました。化学療法を受けている間も、私は人々への支援をやめませんでした。もしかすると、それこそが私を支えてくれていたのかもしれません。



同じ頃、私はウクライナの伝統的なビーズアクセサリーを本格的に作り始めました。



ビーズ細工との出会いは、子どもの頃にさかのぼります。私がまだとても幼かった頃、母がビーズアクセサリーを作っていて、私はその隣に座り、手伝おうとしていました。だからでしょうか。ビーズに触れていると、私は心の落ち着き、温かさ、安心感、そして満たされた感覚を得られます。それは、間違いに気づき、作品の大部分をほどいて作り直さなければならない時でさえ変わりません。



ウクライナのビーズアクセサリーは、単なる装飾品ではありません。模様や色に込められた意味を通して、人を守るお守りとなります。そこには、私たちの曽祖母たちが守り、血のつながり、運命について語った言葉が込められています。そして、その言葉は今も生き続けています。



現代においても、これらのアクセサリーは、自分らしさや優雅さを表現したい女性や少女たちの心を引きつけるものだと信じています。そして世界は、この芸術をもっと身近に知り、まだ十分に知られていない可能性に気づくべきだと思っています。



同時に私は、ウクライナとウクライナ人を支えてくださった日本の皆さまへ、どのように感謝を伝えられるかを何度も考えました。そして、最も良い感謝の形は、一般の日本の方々が本当のウクライナに触れられる場所をつくることだという考えに至りました。



戦火の中にあるウクライナだけではありません。ニュースではほとんど見ることのできないウクライナです。日々の悩みから少し離れ、心を休めながら、ウクライナ文化の美しさに出会える場所です。



最初に考えたのは、ウクライナ料理の体験型博物館でした。しかし、その構想はあまりにも壮大で、健康状態を考えると、一人では実現できないことに気づきました。それでも、文化交流の場をつくりたいという思いは残りました。私はその思いを周囲の人々と分かち合い、ほかのウクライナ人女性たちと力を合わせ、「ウクライナ・ハウス」の設立という形で実現しました。



私は自分のブランドを「Tsuru HM」と名づけました。「Tsuru」は、私の姓「ジュラヴェリ」を日本語にしたもので、「鶴」を意味します。日本とウクライナの両方で深い意味を持つ鳥です。「HM」は「handmade」の略です。



私が制作したシリャンカと呼ばれるウクライナの伝統的なビーズネックレスは、在日ウクライナ大使館を通じて、松川るい議員に贈られました。現在は、華道家元池坊への贈り物を制作しています。



私にとって、これは地位や名声のためではありません。ウクライナの芸術が、技術と職人の手仕事という言葉を通して日本と対話できるということなのです。それは、日本で深く理解されている言葉です。



日本は今も、美しい自然と、優しさや喜びにあふれた人々によって、私を魅了し続けています。



現在、私は生け花を学んでいます。生け花は、私の心を慰めてくれるもう一つの喜びであると同時に、本当の日本を知るための方法でもあります。本ではなく、自分の手を通して学ぶのです。毎日勉強していますが、私の日本語は今もとても初歩的です。それでも、難しいことを根気強く説明してくださる先生には、言葉では言い尽くせないほど感謝しています。今も多くのことを、言葉ではなく『空気を読む』ことで理解しています。



また、私は抹茶カフェでパートタイムの仕事をしており、茶筅を使って一杯ずつ抹茶を点てています。それは心地よく、瞑想的な仕事です。おいしい飲み物を通して、日本の方にも海外から来た方にも、小さな幸せのひとときを届けることができます。



私にとって、ウクライナとのつながりを保つことは何よりも大切です。ウクライナは、私にとって母のような存在です。



私は、できるだけ多くの人々に、ウクライナの美しさと本当の心を知ってもらいたいと願っています。そして、それを通して、人々の心を平和と幸せ、喜びで満たす、美しく心躍るひとときを届けたいと思っています」



ウェブサイト:TsuruHM.com

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