
テチャーナ・ソロツカ
26/5/26 3:00
Ukraine House Japanでは、団体を支える女性メンバーたちの歩みや経験、そして個人的な思索を紹介する連載を続けています。

これらのエッセイを通して、UHJコミュニティを形づくり、ウクライナと日本の文化交流の発展に関わっている人々をご紹介していきたいと考えています。
今回のエッセイでは、Ukraine House Japan共同設立者のテチャーナ・ソロツカが、20年以上にわたる日本での暮らし、日常が静かに与えた影響、人々の優しさや気配りとの出会い、瞑想や自然が内面世界に与えた意味、そしてウクライナから遠く離れた地で少しずつ再発見していったウクライナ文化とのつながりについて綴ります。
「子どもの頃、私は年配の女性たちが人生について語るのを聞くのがとても好きでした。どれほど多くの経験を重ねてきたのかということだけでなく、それでもなお人に対して優しさを失わずにいる姿に、私は驚いていました。困難について語る時でさえ、その言葉には他者への温かさと穏やかさが残っていました。そして多くの人が同じことを口にしていました。人生はとても早く過ぎていく、と。当時の私には、その言葉を本当の意味で理解することはできませんでした。
2000年、私たち家族は「3年だけ日本に滞在する」という思いで日本へ来ました。今年で、日本で暮らして26年になります。今でも時々、それがどこか現実ではないように感じられることがあります。
この年月を振り返ると、まず浮かぶのは日本に対する深い感謝の気持ちです。この国は、私たち家族に安定した穏やかな日常を与えてくれました。そして同時に、数え切れないほどの何気ない日々の積み重ねを通して、人や自然、そして人生そのものを見る私の視点を、ゆっくりと形作ってくれました。
日本は、夫とともに二人の娘を育てた場所でもあります。異なる文化と言語の間で育った娘たちは、4つの言語を話せるようになりました。russiaによるウクライナへの全面侵攻以降、私たち家族はrussian languageを使うことをやめました。言語そのものが、記憶、尊厳、そしてアイデンティティと結びつくものになったのです。
日本での最初の頃の記憶の中でも特に印象深いのは、日本語教師の方々との出会いです。私は今でも、彼女たちの忍耐強さ、寛大さ、そして誠実さを覚えています。日本語を学ぶ手助けをしてくれただけではなく、「ここには優しさが待っている」と感じさせてくれました。今振り返ると、あの出会いが日本での生活の始まりにおいてどれほど大切だったかを強く感じます。
その後、日本の小学校や塾で働く中で、私は日本の日常生活の別の側面を見るようになりました。先生方がどれほど真剣に子どもたちに向き合っているのか、そして他者への責任感がどれほど自然に日々の行動や人間関係の中に存在しているのかを目にしました。
特に忘れられないのは、2011年の大震災の時のことです。交通機関が止まり、保護者たちが街を越えて家に戻ろうとしている中、先生方は学校に残り、子どもたちと共に過ごしていました。そして、家族が再び再会できるまで、大人たちが一人ひとりの子どもを落ち着いて責任を持って守るという静かな信頼がそこには存在していました。この経験は私の中に深く残り、言葉では説明しきれないような、静かな社会的つながりと相互責任の形を感じさせました。
また私は次第に、別の形の「気配り」にも気づくようになりました。それはとても小さな所作の中に現れるものです。丁寧に包まれた贈り物、静かな感謝の言葉、相手を負担に感じさせることなく向けられる細やかな配慮。そうしたものが、少しずつ私の人間関係の見方を変えていきました。
日本は、自然を見る私の感覚も変えました。夫と私は季節ごとに公園や庭園を歩くことが多く、年月を重ねるうちに、以前は気づかなかったものに目が向くようになりました。水面に映る光、雨上がりの苔、季節によって変化する光、湿った夏の夕方の土の匂い、丁寧に整えられた空間の静かな美しさ、小さな庭でゆっくりと開いていく薔薇。
日本庭園は、単に人によって作られた空間というよりも、自然と共に存在し、静かに向き合うための場所のように感じられます。小さな庭であっても、そこには自然への深い敬意と節度、そして丁寧な心配りが宿っています。日本の人々は、自然への愛情を大きな言葉ではなく、日々の細やかな行為を通して表現しているように私には感じられます。玄関先に飾られた季節の花、丁寧に手入れされた近所の植物、世代を超えて守られてきた木々、桜や紅葉を静かに楽しむ人々。そのすべてが、時間をかけて私自身の感覚のリズムも変えていきました。
私の住む地域には高齢の方々が多く暮らしており、その温かさや誠実さに触れるたび、日本の日常の快適さや秩序は、長年にわたる努力と他者への気配りによって築かれてきたものなのだと感じます。
日本での生活は、私に二つのとても個人的な贈り物も与えてくれました。
一つは瞑想です。瞑想は少しずつ私の内面の大切な一部となり、思考や感情、そして時間そのものを見つめる感覚を変えていきました。
もう一つはプィーサンキとの出会いです。
ソ連時代に生まれ育った私は、ウクライナでこの伝統に深く触れる機会を持っていませんでした。しかし、非常に象徴的なことに、私は日本で暮らす中で初めてこのウクライナ文化の一部と深く出会い、歴史によって一度途切れてしまったものとのつながりを感じ始めたのです。
私はもともと、静けさや内省、そして絶え間ない社会的活動から少し距離を置いた生き方を好む人間です。しかし年月を重ねる中で、人と人との文化的なつながりは自然に生まれるものではない、ということを理解するようになりました。
その思いは、他の女性メンバーたちと共にUkraine House Japanを立ち上げる理由の一つとなりました。日本の方々がウクライナ文化に直接触れ、遠く離れたイメージやニュースの見出しだけを超えて、お互いを人として理解し合う機会を少しでも増やしたい。そのような願いがありました。
私にとって文化交流とは、単に伝統を紹介したり、イベントを開催したりすることだけではありません。誠実さ、気配り、対話、そして共有される人間的経験を通して、人と人が出会う場をつくることでもあります。
私は、スローガンや大きな言葉によってウクライナを伝えたいと思ったことはありません。しかし、私を通してウクライナと出会う人々に、尊厳、誠実さ、気配り、そして他者への敬意を感じてもらえたらと、ずっと思ってきました。
今、26年を経て、私は子どもの頃に出会ったあの年配の女性たちの言葉を、以前よりずっと深く理解できるようになりました。人生は本当に、とても早く過ぎていきます。
そのことをふと実感する瞬間があります。馴染みの庭園を歩いている時。夕方の光が薔薇に落ちるのを見つめている時。そして、長い年月を共にしてきた場所へ再び戻る時です。」
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