
フランコ家
26/6/25 3:00
幼い頃から、イヴァン・フランコはその並外れた知性と驚異的な記憶力で周囲を驚かせていました。

ドロホブィチのギムナジウム、そして現在彼の名を冠するリヴィウ大学で学んだ彼は、極めて優秀な学者として知られていました。長い講義をほぼ一言一句そのまま再現できるほどの記憶力を持ち、多くの書物を読み、複数の言語を自在に操っていました。
その深い知性は、並外れた勤勉さと結びついていました。フランコにとって仕事は人生そのものでした。彼の創作遺産は刊行されたものだけで50巻に及び、原稿を含めると80巻にも達します。まさに思索の巨人であり、2〜3日に一度、新たな研究論文や詩、翻訳、書評を生み出していました。
書斎を離れると、フランコは情熱的な旅人へと姿を変えました。彼はリュックを背負った徒歩旅行を好み、友人たちとともに数日間にわたってカルパティア山脈へ出かけ、テントを張って星空の下で夜を過ごしました。日常生活もまた自然と深く結びついており、夜明け前に起きてキノコを採り、川辺で何時間も静かに釣りを楽しんでいました。
作家に温かな家庭の安らぎを与えたのは妻のオリハ・ホルジンスカでした。彼女は高貴な家柄の出身で、優れた教育を受け、高い文化の香りを家庭にもたらしました。そして四人の子どもたちの育成に人生を捧げました。
フランコ家では、健康な身体を大切にする価値観が育まれていました。フランコ自身も子どもたちに運動を勧めていました。子どもたちは活発に成長し、父親の静かな釣りよりもスポーツを好みました。息子のアンドリー、タラス、ペトロ、そして娘のアンナは、サッカー、テニス、フェンシング、スケート、スキーに熱中していました。母親も子どもたちを心から応援し、試合によく足を運んでいました。
子どもたちはそれぞれ優れた才能を発揮しました。息子のペトロは航空士となり、「プラスト」運動の創設者の一人となりました。1912年に創設された「プラスト」は、ウクライナ最古のスカウト組織です。その名称は、勇敢な偵察兵であったコサックのプラストゥーンに由来しています。
今日、この若者たちに人気のある運動は、ロシアによるウクライナ侵攻という困難な時代の中で、子どもたちや若者たちが強さと忍耐力を育む助けとなっています。息子のタラスは文献学者となり、娘のアンナは回想録作家となりました。また孫のローランドはサイバネティクス研究者であり外交官として活躍しました。
フランコ家の歩みは、家庭の中で受け継がれた価値観が、いかなる試練をも乗り越える力となることを示しています。