
ヴァスィリ・ストゥス
26/9/4 12:00
「国際相互理解」プロジェクト
プロジェクトスポンサー:ZenGroup株式会社

1965年9月4日、キーウの映画館「ウクライナ」で映画『忘れられた祖先の影』のプレミア上映が行われた際、知識人たちが秘密裏に逮捕されているという訴えに、会場は大きく揺れました。緊張した静寂のなか、当時27歳だった詩人ヴァスィリ・ストゥスは席から立ち上がり、「圧政に反対する者は立ち上がれ!」と声の限りに叫びました。この言葉は、ソ連社会の平穏という幻想を打ち破りました。恐怖に包まれた会場では、一部の人々が席から立ち上がる一方、KGBの職員は、尊厳を示す勇気を持った人々を一人ひとり記録していました。
この叫びの代償は、あまりにも大きなものでした。ソ連体制は直ちにストゥスを文学研究所の大学院から除籍し、仕事を奪い、出版社への道も閉ざしました。全体主義体制は何十年にもわたり、都市や大学、行政機関からウクライナ語を排除し、その存在を消し去ろうとしました。ウクライナ人には自らのルーツに対する劣等感が植え付けられ、母語は「農民の言葉」として蔑まれました。その一方で、ロシア語は教養とエリート性を示す唯一の象徴として、人為的に高い地位を与えられました。
服従を拒んだストゥスは、長年にわたる収監という代償を払いました。1980年、彼は二度目の有罪判決を受け、特別体制下の強制収容所10年と流刑5年を言い渡されました。1985年9月3日から4日にかけての夜、ヴァスィリ・ストゥスは、無期限の絶食・絶水によるハンガーストライキを続けるなか、ロシアのペルミ36収容所の懲罰房で亡くなりました。映画館での抗議からちょうど20年後、9月4日は、妥協することのない人間の尊厳と全体主義体制の残酷さが交差する、運命の日となりました。
それから数十年が過ぎましたが、ロシアの抑圧体制は今も同じ手法を用いています。ロシアでは、12歳の娘が反戦の絵を描いたことをきっかけに、父親のアレクセイ・モスカリョフが迫害され、収監されました。占領下のベルジャンシクでは、ウクライナ軍を支援するために1,500フリヴニャを送金した73歳の女性が、懲役14年を言い渡されました。ロシアは収容施設で民間人の人質を組織的に拷問し、ウクライナ人捕虜を処刑しています。
1985年の監獄と現代のロシアの拷問施設は、同じ全体主義の鎖でつながっています。ロシアは2014年からウクライナに対する戦争を続け、2022年には全面侵攻を開始しました。ウクライナ国民の不屈の精神と日々の闘いは、この暴力の連鎖を断ち切り、帝国主義的なモスクワが、ソ連支配と独裁という恥ずべき時代を復活させることを阻んでいます。